今月の掲示版    大人になる

どうなったら大人になったと

いえるのでしょうか

年齢で決めるのが一番だと

日本では二十年間生きてきたら、

自然に大人になったことになります

ちょっと年齢だけでは自信がない人のために

成人式なるものまで用意されています

その成人式が荒れ、

幼児化が叫ばれたりもしますが

それでも二十年も生きれば一応一人前です

身体は大人でも、

心は子供のままの人もいることはいますが、

そんな子供のような人が好き

という物好きな人もいますし、

まあ精神は見えるものでもないので

それでもいいやというのが、

大人の対応と言えるかもしれません

医学的には十五歳を過ぎるころにはもう充分大人と言えるようになっているが、どうもバンジージャンプのようなわかりやすい通過儀礼もない日本では、二〇歳を過ぎれば酒もたばこも解禁で大人になりましたよという成人式なるものまでしてくれるようになっている。ところがその成人式で酒を飲んで奇声を発し暴れる人が続発し、それで成人といえるのだろうかと危惧する大人たちの声もあがるという皮肉な現象が起きている。

動物の成人は、肉体的な成熟のみを持って判断するのだから、人間もそうすればわかりやすいのだけれど、それでは動物と一緒ではないかという声もあり、人間の大人というのはどういうものかと言いだせば切りがないので、やっぱり年齢でいくかということになっている。確かに大人になるというのは難しいことで、還暦を迎えた私でさえ、まだまだ子供だと言われることもないとは言えない。だからそんないろいろなことを無視して、大ざっぱに二十歳を過ぎれば大人ですよという対応をしているのだということになる。何を言っているかわからないこの文章を苦笑をもって受け取れるかどうかが、私的成人の目安である。

今月の掲示版  風邪

先日風邪を引きました

先日友人と出会ったとき、

風邪気味なのでという

彼の言葉を聞いて、

別れた直後に

悪寒と鼻水が止まりません

自分にもらってよかったとは

なかなか思えないものですね

風邪は人にうつすとなおるという俗言があります

大教会で「ちょっと風邪気味やね」と

マスクをした友人が帰った途端、

咳が止まらなくなりました。

これは完全に風邪をもらったと思ったけれど、

「これで彼の風邪は治るだろう、

ありがたいなあ」とは、

とっさに思うことは出来ませんでした。

後で聞くと、

友人の風邪はそれからも何日か続いたそうです。

私の風邪も何日か続きました。

あの時「ありがたいなあ」と思えたら

私も彼も、風邪がなおったのでは、と、思っています。

そう思えないとしても、

風邪を一人でひくより、二人で分けたから

よかったなとさえ

なかなか思えないものだというのが私の情けない感想です。


陽気ぐらし  3月

 

私の周りのすべてのものは

あなたが陽気ぐらしをするために

神様から与えられたものです

両親や配偶者、子供や孫と

あなたの大切な人々は

あなたの陽気ぐらしにとって

かけがえのないものです

しかし、あなたの周りには

あなたの陽気ぐらしに

障害となるような人も

いないとは限りません

でも、一見そう見える人たちこそ

あなたの魂の陽気ぐらしに

本当は欠かせない人なのです

 

「人間が陽気ぐらしをするのを見て神も共に楽しみたい」と思召されて、神は人間を創造されたとおきかせいただきます。

 ですから、この世界のありとあらゆるものが、私が陽気ぐらしをするために、神様が準備下されたものなのです。そしてあなたの周りにいるすべての人々も、あなたの陽気ぐらしのために準備されたものです。

 でも、ひょっとしたら「あの人さえいなかったなら、もっと私は楽しく暮らせるのに・・・」と思う人が周りにいるかもしれません。

 でもよく考えてみてください。楽しく暮らすだけでは、魂は少しも磨かれません。いろいろなこととぶつかり、いろいろな人と出会ってこそ魂は磨かれるのです。

 「悪口を言われたら、その人にお礼を申すのやで。その人があなたのいんねんをとってくれるのやで」と、天理教教祖はおしゃったそうです。

 そう考えれば、あなたにとって苦手な人が、一番大事な人なのかもしれません。


ぼける4月

 

私の祖母は

若い頃からよく言ってたそうです

「私は死ぬ前に少しぼける

でも心配することは無い

本当ならば

若くに神経を病むところを

最後に

してもらうことになっている

ありがたいことや」

その言葉どおり

晩年少しぼけました

 

でもそう考えれば

ありがたいことです

 

 父によく聞いた祖母の話です。

 祖母はまだ若く元気な頃から、「樋口の家は、頭の高い高慢ないんねんの家で、私も高慢な人間で、本来ならば精神を病んでいたかもしれないが、信仰のお蔭で若い時ではなく、人生の最後にそのいんねんを見せていただく事になっている。だから必ず死ぬ前にぼけるが、いんねんを果たさせていただいているのやと思って、何も心配してくれることはない。」と話していたそうです。

 言葉通り出直す一年ほど前から少しぼけました。でもそう考えればありがたいことですし、何より不思議なことだと思います。

 私の父は、出直すときはお前たちに迷惑をかけないように静かに出直すことにすると、私が三名之川へ来る前からよく言っていました。

 その言葉通り、前日は何の素振りもなかったのに夜明け前に静かに息を引き取りました。

 信仰とは、人生が偶然の結果ではなく、神様の思いの中に一貫しているということを信じることです。それを信じたら、自分のこの度の人生の終わり方がみえてくるのかもしれませんね。

◎マザーテレサの言葉5月

 

何故神は貧困や飢えを

この世界に与えられているのでしょうか

この問いにマザーテレサは明確に答えた

神は貧困とか飢えをゆるしているとか、

あるいはそれが神の意思だとか、

そんなふうにはまったく思いません

貧困や飢えや苦しみを許しているのは、

あなたでありわたしです

わたしたち人間が

そういったことをつくっているわけで

神ではありません。

 

 

 

 人間は陽気ぐらしをするために生まれてきたと、私たちはお聞かせいただきました。しかし陽気ぐらしには神様がお連れ通り下さる陽気と、自分たちが勝手に通る陽気とがあり、自分たちだけが楽しんで、他のもの、後のものを苦しますことがあっては、本当の陽気ぐらしとは言えないと明確に教えられています。

 『神が連れて通る陽気と、めんめん勝手の陽気とある。勝手の陽気は通るに通れん。陽気というは、皆んな勇ましてこそ、真の陽気という。めん/\楽しんで、後々の者苦しますようでは、ほんとの陽気とは言えん。めんめん勝手の陽気は、生涯通れると思たら違うで。』(明治301211)という『おさしづ』です。

 地理的に、特定の国だけが富み、他の国々が貧しいということは富んだ国の努力の結果ではありません。 

 時代的に今の時代のものだけが豊かさを満喫し、子孫に環境破壊だけを残すことも許されることではありません。

 この世界から貧富の差を無くし、地球をいつまでも持続可能な母なる星として子孫にバトンタッチすることは難しいことではありますが、それができると思われたからこそ、神様は人間を、この世界に生まれさせてくれたのだと思います。

今月の掲示版6月

 

人間五十年、下天のうちを比ぶれば、

夢幻(ゆめまぼろし)の如くなり

一度(ひとたび)生を享け、

滅せぬもののあるべきか

織田信長が、

桶狭間の戦いを前に踊ったという

幸若舞「敦盛」の一節です

若いものは老います

形あるものは滅びます

でも死ぬことを知っているのは、

人間だけなのです

「もののあはれ」という思想は

そういう日常生活の中から生まれました

その五十年が百年になろうが

夢幻のごとくであることに

変わりありません

 幸若舞「敦盛」の一節です。平家の若武者として若くして死んだ平敦盛と、その首を取り世の無常を感じて出家した熊谷直実の物語です。

 人の世の五十年は、天上の最下級の下天の一昼夜にしか過ぎない夢幻のようなものである。という意味で、寿命が五十年だから儚いという意味ではないそうです。

 織田信長は、この舞を舞った後、具足をつけて桶狭間の戦いに向かいました。

 若い者は老い、形あるものは滅びます。

 「もののあわれ」という考え方はそんな無常の中に生まれました。でもそれを知っているのは人間だけです。私たちの寿命はずいぶん延びました。 

 でも五十年が倍になっても、「もののあわれ」はかわりません。無常ということは変わらないのです。ただそれを感じる力はずいぶん弱くなったかもしれません。

今月の掲示版九月

 

○褒める

大きくなれば、

なかなか褒めてもらえません

だから小さい時には

できるだけ褒めてやりましょう

赤ちゃんは動いただけで、歩いただけで

笑っただけで褒めてもらえます

赤ちゃんが大きくなっても

同じように褒めてあげましょう

人は褒めてもらった記憶を

どこかに貯金します

その貯金が多い人ほど

優しい人になれるのかもしれません